「寛容な社会」「不寛容な社会」。
近年こんな言葉を目にしたり耳にすることが増えてきたように思います。
では、こんな「寛容な」「不寛容な」って英語でどう表現すればいいのでしょうか?
「寛容な」は英語で “tolerant”?
「寛容な社会」のような「寛容な」は英語で言うと、
tolerant
という単語が使われることが多いように思います。この単語、耳にしたことはありますか?発音は /ˈtɒl.ər.ənt/ で、最初にアクセントがあります。
「寛容な」とひとことで言ってもイメージが掴みづらいかもしれません。英英辞書を見てみると、こんなふうに書かれています↓
able to accept what other people say or do even if you do not agree with it
Oxford Advanced Leaner’s Dictionary
「他の人の言動を受け入れることができること。たとえそれに賛成できなくても」これが “tolerant” が意味することなんですね。
つまり、自分の考えとは違ったり、自分ではそんなことしないなぁと思う他人の行動であっても、拒絶したり非難・攻撃したりしないで、それはそうとして受け入れられることが “(be) tolerant” ということです。
そして、その反対は、
intolerant
です。”in-” で反対語を表すパターンですね。使い方・例文を挙げてみると、
- tolerant society:寛容な社会
- intolerant society:不寛容な社会
- We should be more tolerant towards others.
人に対してもっと寛容であるべきだ - People have become more intolerant.
人々は寛容でなくなってきている(不寛容になってきている)
「寛容な」を表す別の表現
このところ「寛容さ(tolerance)」について色々と考える機会がありました。そこで思ったのは、”tolerant” 以外にもシチュエーションによって「寛容な」を表せる単語があるのではないかということです。
あくまでも私個人の考えですが、いくつか思いついた形容詞を挙げてみると、
- accepting:他人を受け入れる
- understanding:理解のある
- patient:辛抱強い
- non-judgmental:自分の価値基準だけですぐに批判しない
- open-minded:偏見・先入観なく受け入れる
です。それぞれ簡単に日本語訳をつけてみましたが、ひとことで言い表すのは難しい単語もあるので、ニュアンスは以下の英語の定義を参照してください。
【accepting】willing to allow or approve of something or someone, or to consider something as normal
Cambridge Dictionary
【understanding】sympathetic and kind about other people’s problems
ロングマン現代英英辞典
【patient】able to wait calmly for a long time or to accept difficulties, people’s annoying behaviour etc without becoming
ロングマン現代英英辞典
【non-judgmental】avoiding moral judgements; not quick to judge people and criticize them
Oxford Advanced Learner’s Dictionary
【open-minded】willing to consider ideas and opinions that are new or different to your own
Cambridge Dictionary
「寛容」であるために大切なことは?
私は日本で生まれ育ち、大人になってからニュージーランドに15年間住んでいました。そこで感じたのは、ニュージーランドは日本よりも社会が(人が)寛容だということです。
こう書くと外国美化だと批判を受けそうですが、どの国にも良いところと悪いところがあるのは当たり前です。日本の良いところも、もちろんたくさんあります。ただ、異質なもの・違いに対しては寛容さが欠けるところがあるなぁと感じてしまいます。
そこで、上に挙げた単語たちを眺めつつ、日本とニュージーランドでは自分が何が違うと感じたのかを考えてみました。もしよろしければ最後までお付き合いください。
まず最初に感じたのは【accept】されるかどうかです。
“accept” とは「受け入れる」ですよね。上に “accepting” という単語が出てきましたが、他人を受け入れることができる人が “accepting” な人です。この「人を accept できる」というのは一つ大きなポイントなのではないかと思います。自分と違う意見や考えを持っている人に対して、攻撃したり批判して受け入れないのではなくて、違いがありながらもそれをありのまま受け入れることができたら、それが寛容な社会になるのではないでしょうか。
次に【respect】もあると思います。
これは「尊敬する」ではなくて「尊重する」です。それそのものを(自分の価値観・考えと一緒であろうが違おうが)価値のあるものだと認めて大切にしましょう、ということです。私がニュージーランドで強く感じたのはこれです。子どもの時から「個」の意見・選択が尊重されるような教育の仕方なので、そのなかで他人の意見・選択も自分のと同じように尊重されるものだという感覚が身につくんですね。
また、文化や習慣が違ったり、人と違うところがあったとしても、それだけの理由でないがしろにしたり認めなかったりせず、お互いに “respect” が根底にあれば、もっと寛容な社会になるのではないかと思います。
他にも私がニュージーランドで感じたのは【Everyone is different】という認識です。
ニュージーランドにはいろんな人種・民族・宗教の人が住んでいます。そんな社会ではみんなが同じような意見を持ったり、同じような行動を求められること自体あまりありません(社会的ルールを除いて)。「こういう場面ではこうするべき」ではなく「自分はどうしたいか」が行動の基準です。なので、基本的に人がどのような意見・考えを持とうと、どう考えて行動しようと、良い意味で無関心と言うか「自分は自分・他人は他人」という意識があると感じました。
そして私が最近感じるのは【imagination】って大事だな、ということです。
上にも “non-judgmental” という単語が出てきましたが、寛容な社会にとって “non-judgmental” は絶対に必要なことです。自分の価値観だけで人をすぐに○○だと決めつけたり批判したりしないためには、想像力が大きな役割を果たせるのではないかと思うのです。今ではスマホやAIの普及によって、何かを調べると答えがすぐに手に入り、どんな情報も簡単に得られると思います。そんな中で失われつつあるのが「想像力を使う機会」です。人が自分と違う行動をしたり、違う考えだったら、すぐに批判・排除するのではなく「どうしてだろう?」と考えを巡らせることができたら、少し寛容になれる気がしませんか?
話が長くなってしまいました。こんなことを書きならがも、寛容になるって自分に余裕がないととっても難しいな…と子育てをしながら実感する毎日ですが、自分への戒めも込めて今回は記事にしてみました。自分自身がhappyでいることも寛容になるための大事な要素かもしれませんね。今回は私の個人的な考えに最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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今回登場した “respect”、”non-judgmental”、”Everyone is different” は以下のコラムでもっと詳しく紹介しています。今回はスペースの関係で端折ってしまったこともあるので、細かなニュアンスはそれぞれのコラムをご参照いただければと思います。
そして「寛容な社会」とは切り離せないのが「多様性」「ダイバーシティ」「インクルージョン」です↓